船での飯炊き
2020.06.27(21:36)
19歳~4年間。私は小さい内航船に乗って働いていた。
全乗組員は4人。
航海中、当然食事は摂るのだがコックを雇う程の大きさの船ではなかったので、乗組員が自炊して船は運航していた。
下っ端だった私は主に昼食を作る担当だった。
食事を作る経験が全くない私にとって、飯炊きという仕事には物凄く苦労した。
炒め物を作れば無味。
味噌汁はダシなし。
揚げ物はベチョベチョ。
唯一作れたのはカレーくらいだった。
当時の上司に、
「料理は足し算で、引き算はできへんねん」
とか、
「味見しながら作ったらええねん」
とアドバイスを貰っていたが、最後まで料理の腕が上がる事はなかった。
頑張って作った料理も、時たま海に投げ捨てられたりして心が折れた事もあった。
1度、天ぷらと茶碗蒸しを作った事があるのだが、物凄く難しかった。
天ぷらはベチョベチョ、茶碗蒸しは固まらず、結局魚のエサになった。
現在は、母の手料理を朝昼晩毎日作って貰っているが、旨い料理が毎日食べられる事は本当にありがたい事だと思う。
そして、毎日の洗い物の煩わしさは料理を作っている人にしか分からない。
日々のちょっとした有り難みというのは、体験してこそ感じるもの。
感謝の気持ちはいつでも忘れてはいけないと思う。
ちょっとした事こそ ~明日もボンボヤージュ~
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船乗りの友人に元船乗りが今思う事
2020.02.01(21:38)
船乗りを辞めてから約6年近く経った。船に乗っていた時よりも、船を降りてからの方が高校の同級生と会う機会が増えた。
現在、船乗りをしている友人とよく会う機会が増えたのだが、会う度に、
「会社を辞めたい」
と話になる。
友人が、会社を辞めたい主な理由は、
「人間関係の歪み」
が大半を占める。
船乗りは、
"携帯の通信制限"(大体圏外)
"休日なしで数ヶ月間の団体生活"
"上司と寝食を共にする"
"ガチガチの縦社会"
"各地の方言を聞き取れる能力"
"三交代制"
"夜勤"
"床の揺れ"
などなど、ある程度のストレス耐性がなければ、船が沖を航行しているのにも関わらず、
"泳いで陸を目指して亡き者になってしまう船員"
もいる。
そんな環境に嫌気がさした友人らは、
「将来、ラーメン屋やりたい」
「将来、地元で居酒屋やりたい」
「将来、陸の適当な仕事に就きたい」
と未来?に希望を抱いている。
私が思うに、
「"将来"や"いつか"と言っている限り、95%くらいが未達成になる"夢物語"だと思う。」
"ああしたい"、"こうしたい"は、今すぐ行動を起こさなければ、絵に描いた餅でしかない。
"自分には無理そう"と言い訳安パイばかり切っていたら自分がアガれない。
麻雀で例えるなら、"ポン"だの"チー"をして自ら今のゲームをアガって、親番で役満を狙う戦術だってある。
どうせ分からない未来なのに自ら諦めの念を抱いていてはいつまで経っても前進しない。
運は黙っていても巡ってこない。
自ら掴みにいくものだ。
現状を大きく変えたいと思ったらどうするか?
それは、何かを大きく変えることだ。
"悔いのない選択には決断"
何かを選び、何かを捨て去る事。
そして"覚悟"
一旦、盾は捨てて剣のみの一点突破で突き抜ける情熱が必要だと思う。
本当に何をしたいのか?
どうなりたいのか?
どう生きたいのか?
信念は何か?
後悔士にはなるなよ ~明日もボンボヤージュ~
「岸壁」陸から見るか、海から見るか
2020.01.08(22:02)
東北の日本海側に住んでいる友人に会ってきた。帰り道の途中、とある漁村に寄った。

その時、この港の風景がとても懐かしく感じた。
船員を辞めてからおよそ7年が過ぎ、
岸壁を目にするのも久しい。

(これ、"ビット"って呼ぶんですよ)
船員をしていた頃は、数週間振りの"陸"に感激する場所だったが、
今では、"海"に感激する場所へと変化した。
視点が違えば、想いや感じ方は大分変わるらしい。
もう一つ思い出したのだが、私は14~15歳の頃、本気で漁師を志望していた。
学校の勉強よりも、高価な魚と外洋と儲けることに興味があった事を、ふと思い出した。
もし、"海の資格"や、"高卒"、"職の階級"といった概念に縛られていなければ、内航船員ではなく、中学を卒業と同時に漁師をしていたに違いない。
今でも外洋(海外)の世界は面白そうだと思っている ~明日もボンボヤージュ~
航海中の病気
2019.11.02(21:19)
20歳~24歳まで乗っていた貨物船での話だ。その船は、大阪近辺で荷物を積み、東京近辺への陸揚げを繰り返す船だった。
海路を使って荷物を運び、船が得た運賃の一部を船員が得る仕事になる。
とある日の事。
大阪府西淀川区の港で、船に荷物を積み込んだ。
出航は明朝6時。
船員の友人と尼崎の繁華街へ飲みに繰り出し、焼き鳥屋で一杯飲んだ。
生中一杯で出来上がってしまう程の下戸である友人だったので、
「もう飲めんわ。。。コンビニで買い物して帰らへん?」
となり、買い物を済ませ、船に戻った。
そして翌日、東京へ向けて出航した。
目的地は千葉県の市川市の港。
船の速力で一昼夜だ。(36時間)
出航した日の夜、突然腹痛が襲った。
最初は、ただの下痢か何かと思い、船内の食堂にある救急箱の中の正露丸を飲んだ。
が、症状は改善されなかった。
刻々と強くなる腹痛。。
その時初めて、「変なものを食った」と自覚した。
腹痛を克服、解決、回避する術はない。
"祈る"
しかないと思う。
私は、
「神様、、もう悪い事は一生しません、、許して下さい、、どうか!どうかぁあ、、」
と、都合の良い懺悔をしていた。
発作的に起こる腹痛の度に同じフレーズを神に祈った。。。
翌日、千葉県市川市の港に辿り着いた。
船長から病院へ行く事を許可されていたので、船が岸壁に着岸すると共に、直ぐに市川市内の内科へ直行した。
病院の検査の結果、
"カンピロバクター"という細菌が体内から検出された。
カンピロバクターは、鳥の生肉に含まれる事がある細菌で、良く加熱せずに摂取してしまうと、、、前述した通り苦しい思いをする。
原因は、焼き鳥屋で食べた"生鶏肉のユッケ"だったと思う。
体験した症状としては、
「食べた物がすぐ下る」
内臓自体が異常事態になるのだろう。
食べては腹痛。飲んでは腹痛と、記憶によると、
1週間近くまともな食事が摂れなかった。
お医者さんに言われたのは、
「ヨーグルトやバナナ、ゼリー等で脱水症状の回避と、体力の衰退を回避しつつ症状の回復を待とう」
との事だった。
市川市のコンビニでヨーグルトとゼリーをしこたま買い込み、帰りの航海を耐え抜いた。
全ての期間で、1週間近く腹痛が続いたのを覚えている。
これ以降、鳥の生肉は食べた事はない。
ちなみに船員の友人は航海中に、
"インフルエンザ"、"ノロウイルス"、"淋病"を経験した。
実績としては、トリプル役満になる。
体育会系+縦の業界だけに、先輩船員からは冷たい風が吹き、
"貧弱"、"華奢"、"病弱"等とバカにされていた。
だが、辛い思いを乗り越えただけあって、私がカンピロバクターで苦しんでいる時、
物凄く優しく介抱してくれた。
元気でやってるかなぁ ~明日もボンボヤージュ~
船乗りと金の卵
2019.08.13(21:55)
今日の夕方のニュースで、母校で船乗りを目指す若者が紹介されていた。内航船員の平均年齢は、50代以上がおよそ50%を占めていて、高齢化が著しいそうだ。
これからの日本国の物流を支える船員は、「金の卵」と言われているそう。
金の卵と言えば、2006年頃に国土交通省が発行した、商船学校系列のパンフレットにも全く同じ事が記載されていた事を覚えている。
そのパンフレットを読んだ当時の私は中3で、金の卵なら将来性あるなーと感じた事も覚えている。
私的には、最近の人手不足とAI化の流れ及び高齢化を考えると、どこに行っても高齢化した船員組織の下っ端から始めるより、金の卵が集結して新しい海運会社と最新の船舶、そして運航システムを作った方が面白いと思っている。
新しい海図には金脈が眠ってそう ~明日もボンボヤージュ~
海難事故のニュース
2019.05.28(22:49)
先日、貨物船同士が衝突した事故のニュースがあった。私も同型の貨物船に乗船していた事があるので、船員の方達が心配だ。
船の中でも、貨物船は沈没するまでの時間が極端に短いと教えられた。
貨物船の場合、船倉(貨物室)に区画が設けられている事があまりない。(荷物の運搬の効率を重視している為)
船倉に穴が空いた場合、海水が一気に流れ込むので、沈むのが早いと船乗りの先輩に教えてもらった事がある。
逆に、油槽船(タンカー)は、船倉に区画が設けられているので、万が一衝突が起こっても他の区画に浮力がある為、沈みにくいと記憶している。
船員の方の無事を心から祈っている ~明日もボンボヤージュ~
凪はご馳走
2019.01.05(19:06)
昨日、NHKの「チコちゃんに叱られる」という番組で、「ご馳走様って何?」というコーナーがあった。どうやら、韋駄天(いだてん)という足の速い神様が由来のようだ。
船乗りの頃、良く晴れた航海中に船長が、
「おー!天気ええのぅ!"凪はご馳走"やで!」
と、言っていたのを思い出した。
自分の中では、凪の日は船が揺れないので、ご馳走を作って食べられる事だと思っていた。
酒も美味いし、こぼれないし。
(時化の日は、まともに調理が出来なかった)
船長的には、凪の日は船のスピードが速く、航海の効率化によって、儲かる事を言いたかったのだろう。
気に入った ~明日もボンボヤージュ~
ハワイへの夢
2018.10.29(21:22)
日本丸という帆船をご存知だろうか?航海訓練所の練習船で、大型の帆船だ。
学生時代に3ヶ月間乗船し、帆船航海を学んだ。
実習で、マストの最頂上まで登る事があった。
帆を広げる実習だ。
海面からの高さは50メートルあった為、足が震えて仕方なかった。しかも裸足だ。
複数人でロープを引き、帆に風を受ける角度を変えて航海する。
帆船での航海中は、常に斜めの状態で航海するので、お風呂のお湯も斜めになる。
もちろん、まともに入浴した記憶はない。
日本丸での航海実習では、毎年ハワイまで航海するプランがあって、入学当初から非常に楽しみにしていた。
しかし当時、原油価格が高騰してハワイへの航海がポシャった。
8人部屋で生活したのは、後にも先にも日本丸だけだった。
稀な青春時代だった ~明日もボンボヤージュ~
洋上のネット回線
2018.07.27(22:22)
陸に暮らすようになってから、つくづく思う事がある。それは、インターネットの快適さだ。
学生時代、練習船で全国を周遊した時だ。
初めての船内生活だった。
電波は悪く、ケータイが繋がらないので、友人達と揃って船の陸側に移動する。
そして、自由の女神像の如くケータイを掲げ、懸命に電波を拾ってメールをしていた時が懐かしい。
PCでインターネットをする時は、ケータイでテザリングをして接続していた。
PS3でオンラインゲームをする際は、ネットを繋いだPCをルーター代わりにし、PS3に接続する二度手間をかけてプレイしていた。
洋上でのオンラインゲームは、頻繁にタイムアウトする。
陸から離れ過ぎると電波が届かないので、プレイ出来なくなるのだ。
そこで、陸側に設置したケータイに、外付けのアンテナを接続するわけだが、充電器の接続端子を使うため、代わりに充電ができなくなる。
その為、バッテリーの型が一致するケータイを買い、バッテリーが切れる度に都度交換したりと、苦労が絶えなかった。
陸では光回線という素晴らしい環境があり、洋上のネット環境とは比べ物にならない。
電波もある、電気もある。
便利というものは幸せなものだ ~明日もボンボヤージュ~
シーマンシップ
2018.07.14(22:26)
船乗りの学校で教わったシーマンシップというものがある。旧海軍からの伝統的な格言だ。「スマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」
スマートとは、無駄のない的確な判断と行動だ。一瞬の判断の誤りが、海上では命を落とす危険といつも隣り合わせだと言うことを忘れてはいけない。
目先が利く。先見の明である。
一手でも早く情報を得ることで、船舶の海難を回避したり、時化を回避する。日頃の仕事でも予測した上で行動する。根回しみたいなものでもある。
几帳面。定位置管理や危機管理である。
誰にでも幼少期に親から、
「整理整頓しなさい!」
と、怒られた事があるだろう。それである。
遅刻だったり計画性であったり、ズボラな人間は耳を塞ぎたくなる類いの名言だ。
負けじ魂。諦めない精神力である。
如何なる状況においても、最後の最後まで力を出し切るということ。失敗を認めなければ失敗ではない!など、ポジティブに考えること。根性論でもある。
全て、安全に通じるところがある。どんな時でも人命が最優先である。
突然の出来事を冷静に判断できる人は少ないだろう。
"もしも"に備える事は、"いざ"という時の為なのだ。
生きる為に活きる言葉かもしれない ~明日もボンボヤージュ~