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9年

2020.03.11(22:06)
東日本大震災から9年が経過した。

もう9年も経ったのか。率直に感じる。


当時、私は兵庫県神戸市にある船会社に転職してから2年目を迎え、リーマンショックによって傾いた零細企業の人手不足を補う役割として、内航船の機関長の職務に就いていた。


乗っていた船は国内運航の貨物船。

神戸製鋼や日本製鉄で作られる鉄鋼を、船舶輸送に適した荷姿にした形の荷物を運んでいた。


後々、建築需要品へと加工される前の積荷だった為、景気の影響をモロに食らい、原油の高騰と共に、船の積荷自体が凄く少なかった。


ひと月に7回程、東京に向けて積荷を運ぶ航海をし、何も荷物を積まずに神戸に帰る航海を繰り返していた。(空船航海)

会社は、1度の航海でギリギリの財政状況だった。



9年前の2011年3月11日。
その日は、神戸の第八突堤に船を係留して休みの日だった。

朝から同い年の二等航海士と共に、折り畳み自転車で三ノ宮駅前に向かい、パチンコ屋に入り浸っていた。

午後4時頃。

二等航海士が私の肩を叩いた。


「お前の地元、ヤバい事になっとうで。」


ー「へ?なんで?」


「大地震で津波来とうで。」


ー「えっ?」


二等航海士に連れられ、パチンコ店内のテレビに映っていた報道を見て血の気が引いたのを覚えている。



携帯電話を開くと、父から数回の着信があった。

直ぐに電話をかけ直した。


ー「もしもし?大丈夫?」


「おぉ、こっちは無事だ。心配するな。家も何とか無事だ。兄弟とも連絡が取れて無事だ。」


ー「俺、どうしたらいい?会社に頼んで帰った方がいい?」


「まず待て、また連絡するから」


確か、こんな感じのやりとりをした。

直感的に、あぁ、、でもこれは急いで帰れるような出来事ではないな。そう思った。


パチンコどころではなくなった私は、

二等航海士と共に船に戻り、

テレビで津波後の中継を呆然と眺めていた。


二等航海士「これはヤバいな、、誰も生きてないんちゃう?」


私「、、、」


と宮城県沿岸部上空の映像を観ながら絶句していた事を覚えている。



翌日、船長や一等航海士に経緯を説明し、

実家が無事だった事や、

父親の指示を踏まえた結果、

乗船を続ける事にした。


東京に向けて一昼夜の航海の後、

通常通り、船の荷下ろし作業を行った。

その時、荷役作業のリーダーが福島県の南相馬市出身だった。

現地に住む母親は無事だったが、

ガスが使えずに困っていると話を伺ったので、

船内にあったカセットコンロのガス缶を全て渡した事を覚えている。

阪神淡路大震災を経験した船員ばかりだったから実行出来た思い遣りだったと思う。




それが今、新型肺炎で物資確保競争が起きている。

当園で用意しているトイレットペーパーを買いに行ったらこうだ。





トイレットペーパーがない。


しかも、お一人様一個の限定感にも拍車がかかっている。


滑稽だ。なんで?と思う。





知り合いの観光農園では、トイレットペーパーを盗まれるという事態も起きていると聞く。

岩手県内なのにこの騒ぎ。

9年前に何かを学んだ筈ではないのか?と思う。



結局、自分さえ良ければ良いと思うのが人間社会なのだろうか?


歴史で繰り返されている様に、自分さえ助かれば良いという事なのだろうか?


まずは自身の安全を確保し、安全地帯からなら他人の手助けが出来る。と声高らかに言えるという事なのだろうか?


何よりも恐ろしいのは人間。

それは間違いないのかもしれないが、
その人間を信じられなくなるのはもっと大きな間違いになるだろう。


迷った時は人、困った時は人、最初も最後も人、それ1番言われてるから ~明日もボンボヤージュ~
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北上いちご園農園主

Author:北上いちご園農園主
岩手県北上市にある観光いちご園、北上いちご園農園主のブログです。

このブログは、元船乗りを経て2014年に新規就農した農園主が、
農園の様子や、いちご作りの様子等を紹介しています。


※ボンボヤージュとは、
船出の際、「よき航海を!」
と、旅立つ人々への挨拶です。

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